ここしばらく、青春18きっぷを利用した一人旅をしていない。
というのも、結婚し、子どももでき、家庭を持つとなかなかに一人でどこかへ出かけようという気持ちにならない。
よしんば許可を得て一人旅ができるとなっても、基本は日帰り。最大でも一泊二日だろう。
逆にそれ以上の期間となると、こちらも気が気でなくなり、旅先にいても気が休まらないだろうし、そもそもそこまで長く家族と離れることも本意ではない。
となると、「金は安いが時間はかかる」の代表格である青春18きっぷを利用した旅など、もう二度とすることはないのかもしれない。
そう思うと、それはそれで少し寂しくなった。
2022年8月13日。
ふと過去の写真フォルダを整理していると、目に留まった日付がある。
そう、このとき私は青春18きっぷを使って、一人で西へ向かっていた。
当時は結婚こそしていたものの、まだ子どもはおらず、また妻も友人たちと旅行に出かけるタイミングだった。
こちらも一人で動きやすい時期だったのだろう。
そのときの詳細な気持ちまではもう覚えていないところも多いが、まず確保できた時間は二泊三日。
ただし三日目には予定があったため、二日目の夜には大阪発の夜行バスを予約していた。
これだけの時間があるのであれば、まず青春18きっぷありきで考えたのだと思う。
北へ行くのか、西へ行くのか。
時刻表まで買って、ページをめくりながらニヤニヤと調べ倒していたに違いない。
そうして出来上がった旅程は、自宅のある神奈川県からひたすら西へ進み、その日のうちに山陰本線の餘部駅へ。
かつての余部鉄橋があった場所を堪能し、そのまま鳥取駅まで行って駅前のビジネスホテルに宿泊。
翌日は朝からすなば珈琲へ行き、鳥取砂丘を見て、その後は大阪へ下る。
大阪ではサウナへ入り、そのまま夜行バスで帰ってくる、という算段だったようだ。
若々しい旅である。
しかし、これこそが青春18きっぷの醍醐味でもある。
この考え方が正しいのかはわからないが、どうせ定額で乗れるのだから、なるべく長い距離を使ってやろう、という発想が原点にあった気がする。
本当に若い頃などは、「青春18きっぷを使っている以上、移動はすべてJRでなければならない」くらいの謎の縛りまで自分に課していたと思う。
それに比べれば、この2022年の旅では餘部駅で一時間以上滞在する予定を組んでいたり、翌朝は鳥取観光の時間まで確保している。
ここが大人になった余裕なのか、それとも昔ほど時間を無尽蔵に使えなくなった結果なのかはわからないが、少なくとも「とにかく遠くまで行けば勝ち」という頃からは、少しだけ成長していたらしい。
写真を順番に見返していくと、当時の記憶が朧気によみがえるものもあれば、いくら眺めてもまったく記憶と結びつかないものもある。
それでも、確かにそのとき私は青春18きっぷを使って旅をしていた。
自分で文章にしたため、もう一度その旅を追体験することで、あの頃に感じていた喜びや、出発前の胸のざわざわした感じを、少しでももう一度味わえたらよいと思う。
一度の旅で二度おいしい。
記録に残すということは、そういうことでもあるのだろう。
東海道線をひたすら西へ ~京都
何時の列車に乗ったのか、もう正確には覚えていない。
ただ、少なくとも始発に近い時間帯だったと思う。まだ空が明け切らない中、私は自宅の最寄り駅へ歩いて向かっていた。
なにしろ青春18きっぷだけで関西方面まで行こうというのだから、朝から悠長にモーニングなどを食べている暇はない。
旅行なのに時間がない、と何を言っているのかわからないと思うが、青春18きっぷの旅とはそういうものなのである。
青春18きっぷを知らない人のために簡単に説明すると、全国のJR線の普通・快速列車を中心に、一日乗り降り自由で利用できるきっぷである。
2026年現在はルールが変わってしまったが、私が利用した2022年当時は一枚で5回分。
一人で日にちを分けて5回利用してもよかったし、複数人で同じ日に使うこともできた。
新幹線や特急には基本的に乗れない。
そのため、関東から京都や大阪へ行こうと思えば、東海道線をひたすら乗り継いでいくことになる。
新幹線なら、東京から京都まで二時間少々であるところを、ほぼ一日かけて移動する。
いま流行りの「タイパ」で考えれば、相当に悪い。
しかし青春18きっぷを使う人間にとって、それは必ずしも欠点ではない。
むしろ、その時間こそが目的だったりするのである。
どこまで行った、何を見た、ということももちろん大事なのだが、普通列車に座り、いつまでも流れていく車窓を眺めながら、徐々に自分の生活圏から遠ざかっていく。
いつしか知らない生活圏へ足を踏み入れ、そこに暮らす人たちが日常の足として列車へ乗ってきて、またどこかで降りていく。
かと思えば、人家がほとんど見えない区間を黙々と走り、山を一つ越えた先にはまた大きな街が現れる。
そんな景色の移り変わり、その過程全部をひっくるめて旅なのである。
少なくとも、当時の私はそう思っていた。
というより、いまもたぶんそう思っている。
ただ、いま同じことをやれと言われたら、途中で新幹線に乗ってしまう可能性は高い。
時間を金で買う、とはよく言ったものだ。
完全なトレードオフなのである。
国府津駅で見つけた「静岡行き」
さて、旅は始まったばかり。
普段から東海道線には乗るものの、たいてい向かうのは都心方面である。
しかし、この日は反対側、熱海方面へ向かう。
見慣れた駅、見慣れた車両であるにもかかわらず、進む方向が違うだけで少しずつ非日常へ入っていく感じがする。
車内には、なんとなく「同士」らしき人もいた。
なんとなくだが、ひと目でわかる。
向こうから見れば、私もそう見えているのだろうか。
平塚を越え、大磯あたりまで来ると、いよいよわくわくしてきた。
ただ、空模様はよろしくない。
今回の旅では日本海側まで抜けるので、天気だけは少し気になっていた。
そして国府津駅。
進行方向左手に海が近づき始めるこの駅で、ふと目に入ってきたのが御殿場線の列車だった。
御殿場線はJR東海の管轄になる。
使われている車両も、ホームに立つ案内表示の書体や色も、普段利用しているJR東日本とは趣が異なる。
生活圏の中にある駅なのに、一部分だけ知らない地域のものが混ざっているようで、それだけでも新鮮である。
そして、御殿場線のホームの行先表示盤には、「静岡」と出ていた。
静岡行き。
この表示が妙に気になった。
国府津から御殿場線を走り、沼津から東海道線へ入り、そのまま静岡まで向かう列車である。
静岡という地名自体は珍しくもなんともない。
この日だって、私はこれから普通に静岡県を横断する。
しかし、普段見ている国府津駅で「静岡行き」と表示されている。
それだけで、いつもの駅が少し違って見える。
こういうちょっとした違和感を徐々に発見していけるのが、普通列車で遠くへ行く旅の楽しさなのだと思う。
そして、こんなことでわくわくできるのが、乗り鉄という人種である。

早朝の東海道線から見る海
乗っていた電車は小田原止まりであるため、小田原駅で乗り換える。
熱海方面への列車を意識して前寄りに乗っていたところ、小田原で待っていた列車は5両編成。
ホームへ降りた人たちが一斉に後方へと動く。まだこんな時間なのに、思っていた以上に人がいる。
乗り換えの結果、座れなかった。
早速、立ちである。
電車にて立った瞬間、急に旅情が薄れるのはなぜなのだろう。
それでも列車は西へ進む。
早川を越えたあたりだったと思う。進行方向左側の視界が一気に開けて、大きな海が現れた。
この日の天気は、決して良くなかった。
夏の旅行といえば、真っ青な空と真っ青な海を期待したくなるところだが、この日はそういう景色ではない。
まだ朝も早く、空には靄が残り、相模湾の水面は青白い光を鈍く反射していた。
快晴の青い海なら何度も見ている。
しかし、こういう色の海を見る機会は滅多にない。
東海道線にも何度も乗っているが、それでもこんな時間帯に、この角度から、この色の海を見ることはなかなかない。
朝7時を回った頃から、空は急に明るくなっていた。
昇ってきた太陽はどこか不思議なオレンジ色で、朝日なのに夕陽のようにも見えた。
まだ街全体が完全には起きていないような時間に、普通列車の窓からぼんやりと海を眺める。
こちらも早起きしているので完全には目が覚めていない。
その半分夢の中にいるような状態も含めて、妙に記憶に残っている。
こういう景色は、目的地として行こうとしても、たぶん同じものには出会えない。
何月何日の何時何分に早川付近を通過すれば同じ景色が見える、というものでもないだろう。
青春18きっぷの旅は、こういう偶然が多い。
というより、乗っている時間が長すぎるので、必然的に偶然と遭遇する時間も長くなるのである。
新幹線なら一瞬で通り過ぎてしまう場所を、普通列車は律儀に一駅ずつ進んでいく。
町があり、住宅地があり、川があり、工場があり、突然海が現れ、また山へ入る。
目的地と目的地の間に、本来なら名前すら覚えないような景色が延々と存在している。
それを見るために普通列車へ乗っている、と言ったら格好良すぎる。
実際には、青春18きっぷだから乗っているだけであるわけで。
ただ、窓の外が少しずつ知らない土地になっていく様子を眺める移動を、私は決して退屈だとは思わない。
熱海から浜松へ。いよいよ長い静岡県
熱海でまた電車を乗り換える。
ここから正真正銘、JR東海の世界となる。
乗り換えホームへ向かう人たちは、また走る。
しかも階段を渡った先のホームなので、自然と人が固まる。
どの位置に列車が停まるのかよくわからない人も多く、整列乗車などなされておらずホーム上はなかなかのカオスだった。
そんな中、アナウンスが流れる。
どうやら乗りたい電車は12分ほど遅れているらしい。
今回の旅程には、遅延というものをほとんど考慮していなかった。
とにかく青春18きっぷの旅程というのは、少しの遅延が後々に響いてきてしまう特性上、少しまずい。
とはいえ、まだ静岡県に入ったばかりである。この先どこかでうまいこと回復するだろう。
最悪、予定を変えればいい。それくらい適当な旅でもある。
それがまた青春18きっぷの良いところだ。
と、このときは思っていた。
ホームには新幹線の通過音が響く。
小田原で乗ろうと思えば乗れたはずの新幹線が、恐ろしい速度で西へ消えていく。
ワープ、ありだったかな。
少しだけそんなことを考えていると、遅れていた電車がやってきた。
ここから浜松まで、二時間を超えるロングラン。
この区間は寝ることにした。
荷物は荷棚へ上げ、手元にはスマートフォンだけ。
長時間列車に乗るときの態勢を整える。
沼津、三島と過ぎ静岡県の海沿いを延々と走っていく。
段々と西に移動するにつれて、雨が強く降り始めた。
車内も妙に寒くなり、夏だというのに上着を着る。
ロングシートなので隣の客が気になり、若干寝づらい中、それでもうつらうつらと眠りにつく。
ふと目を覚ますと、まだ静岡県である。
それはそうだろう。
そうして、何度か起きると眠るを繰り返し、静岡駅が近づいたところだったと思う。
突然、車内のあちらこちらからスマートフォンのアラームが鳴り始めた。
大雨警報が通知されてきた。
同じタイミングで鳴る複数の電子音。
緊急地震速報ほどの恐怖感はないものの、各所から重ねて響く警報音は、なかなかの恐怖である。
遅れは徐々に回復していたが、焼津あたりではまた減速運転となった。
これはまずい。
今回の旅程にはそれほど余裕がない。
浜松から大垣へ。雨の中で旅程が少しずつ変わる
浜松へ着いた。
本来の予定では、もう一本前の豊橋行きに乗り、豊橋で次の列車へ乗り換える算段だった。
しかし大雨による遅れは、回復するどころか途中で拡大したため、結果として、予定していた列車には乗れなかった。
ところが、ここで大垣行きに乗ることができたため、元々予定していた豊橋での乗り換えが一回減ったことになる。
遅延しているのに乗り換え回数が減る。
得をしたのか損をしたのかよくわからない。
ただし、その代償として京都駅で確保していた時間は削られていく。
当初は京都で25分ほどあったはずの余裕が、15分程度になりそうだった。
京都で何か食べようと思っていたが、これは諦めた方がよさそうである。
車内はお盆時期だからなのか、意外なほど空いていた。
もう四年前のことなので正確な理由はわからないが、ただ、長距離を移動するにはありがたい程度の乗車率だった。
しばらく進むと、車窓に浜名湖が見えてきた。
新幹線であれば一瞬で通り過ぎる浜名湖も、普通電車であればじっくりと楽しむことが出来る。
旅情としては絶好の場所である。
しかし、あろうことかその区間で、私はトイレへ籠っていた。
痛恨のミスである。どうして今なのか。
しかしながら、人間だもの。生理現象に抗うことはできないし、電車が浜名湖を通り過ぎるタイミングに干渉することも、神ではないためできることではない。
しかしトイレから戻ってみると、ボックス席の進行方向の座席を広々と確保することができた。
荷物を整理し、時刻表を確認する。まだ今日の計画を根本的に変更しなければならないほどの遅延ではなさそうだ。
豊橋あたりから人が増え始め、岐阜を過ぎるとまた少し減る。
乗客が入れ替わるたびに、この列車が観光客だけのために走っているわけではないことを当たり前のように実感する。
私にとっては神奈川から鳥取へ向かう旅の途中。
しかし隣に座る人にとっては、豊橋から名古屋へ買い物へ行くだけかもしれない。
出勤途中かもしれないし。夜勤明けの仕事帰りかもしれないし、実家へ帰るところかもしれない。
自分にとっての非日常の車内に、誰かの日常が普通に乗り込んでくる。
こういうところも、普通列車の旅が好きな理由なのだと思う。
大垣。乗り換え駅の外へ出てみる
大垣へ着く。
大垣といえば、青春18きっぱーには何かと馴染みのある駅である。
大垣夜行、ムーンライトながら、大垣ダッシュ。
遠方から東海道線を普通列車で移動してきた者にとって、大垣は長いこと「乗り換える駅」という印象が強かった。
私自身、これまで何度通ったのかは覚えていない。それでも、改札の外へ出た記憶は一度あるかないかくらいだった。
今回は、結果的に大垣駅での乗り継ぎに30分弱の時間ができた。
ならば、少し外へ出てみようと、あてもなく改札外に出て、駅ビルのASTYを覗き、トイレへ行き、そのまま駅前のロータリーまで出る。
空が青い。
静岡県ではあれだけ雨に降られていたのに、大垣へ来る頃にはすっかり晴れていた。

普通列車で長距離を移動していると、天気が徐々に変化していくのも面白い。
雨雲の中を走り、気づくと窓に付く雨粒が減り、いつしか雲が切れている。
新幹線なら「静岡は雨だったけど岐阜は晴れていた」で終わるものを、その途中まで見せてくれる。
駅ビルの飲食店を眺める。駅前を歩く。
ほんの数十分。特別な観光をしたわけではない。
それでも、大垣という街に人が暮らしていることを少しだけ見ることができた。
当たり前の話なのだが、私にとって長年「乗り換え駅」という記号だった大垣にも、大垣の日常がある。
列車を乗り継いでいるだけでは、なかなかそこまで意識が向かない。
せっかくの乗り継ぎ時間なので、18きっぷ旅必須である車内行動食も補充した。
せっかくなので駅のベルマートで「みそかつおにぎり」を買うことに。
せめてもの旅行感である。
そして、熱海あたりから「この人も18きっぱーだろう」と勝手に思っていた同士らしき人が、なんと大垣の駅ビルの中にいた。
ここまで一緒だったのか、と
向こうはこちらの存在など認識していないだろうが、勝手に仲間意識が生まれる。
旅先では、こういう一方的な再会もある。
大垣から米原。昔とは変わった東海道線
大垣から米原へ。
昔この区間に乗ったときは、もっと古い車両がモーターを唸らせながら山を越えていた印象が強い。
ところが久しぶりに来てみれば、車両はすっかり新しくなっていた。
時代は進んでいる。
大垣駅では乗り継ぎ電車に並ぶことを放棄して、駅の外へ散策へと出ていたため、この区間では座席を確保できず立つことになった。
ただ、車内そのものはやはり人が少ない。
混雑した通勤電車のように押し込まれるわけでもなく、ゆったり立っていられる。
山間の景色を眺めながら、米原へ向かう。
このあたりまで来ると、関東からはだいぶ遠いので、もうしっかりと旅行に来た感覚になるが、それでもまだ東海道線なのである。
日本の東西を結ぶこの路線の長さを、嫌でも体感する。
米原から京都へ。三社目の東海道線
米原へ到着すると、ここからJR西日本になる。
朝、自宅近くではJR東日本。
熱海からはJR東海。
そして米原からJR西日本。
三社目である。
一本の「東海道線」を西へ進んできただけなのに、鉄道会社が三つ目になる。
駅名標のデザインが変わり、車両が変わり、案内放送が変わると、
また少し、知らない地域へ来た感じが増す。
米原駅から乗るのは姫路行きの新快速。
この旅で初めて、終点まで乗らない列車だった。
今回はしっかりと座席は確保したが、車窓の外に見える空は、また曇り始めていた。
東海圏ではあれほど晴れていたのに、京都方面の天気は良くないらしい。
最高時速130km/hを叩き出す新快速は、とにかく速い。
怒涛の勢いで駅を飛ばしていく。
普通列車と快速列車しか利用できない青春18きっぷの旅では、この新快速がほとんど特急列車のように感じられる。
と同時に青春18きっぷで移動する人間にとって、マストの乗り物と言えるだろう。
私自身、JR西日本の在来線に乗ること自体が久しぶりだったため、高速で流れていく車窓を眺めながら、懐かしさが込み上げてくる。
東京駅から大阪駅は、何度青春18きっぷで往復したことか。
その度に必ず乗っていたのがこの新快速の列車。あまりに飛ばしてしまうので、米原の次は正直、京都、大阪としか覚えていない。まったくもって私の中では新幹線と同じである。
朝からの疲れと、心地よい車両の揺れが重なり、私はほとんど寝ていたのだろう。この区間は記憶がない。
これも鉄道旅である。
気づけば、京都が近づいていた。
起きてふと見上げた窓の外は、まだどんよりとしている。
静岡から続いていた遅延の影響もあり、京都駅で残された乗り継ぎ時間は15分ほど。
しかしここでお昼を食べておかねば、今後の旅程も考えると食いっぱぐれること確定である。
そして、京都なら京都っぽいものが駅近で食べられるのではないかという甘い考えで、先ほど30分もあった大垣の乗り継ぎ時点では何も食べなかった。
しかし、下調べもないまま15分で京都駅を攻略できるわけもなく、それでも私は偶然でた地下改札の目の前にあった一軒の立ち食いうどんの店に入ることができた。

京都で、うどん。
全くイメージはつながらなかったが、とにかく美味しかった。
こうして15分で昼食を食べ終えた私は、目的地に向けて山陰本線の旅に向かうのであった。


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