『旅する練習』感想・ネタバレ|最後の1ページが許せなかった。それでも名作だと思う

以前、ふと立ち寄った本屋で帯と装丁で気になって購入した小説がありました。

乗代雄介さんの『旅する練習』という小説です。
先日、読み終えました。

最後の一ページを読んだ瞬間。
衝撃というより、ショックでした。

正直に言えば、

ナガタニ

これは小説として、なしだろう・・・

と、反射的に思いました。
夢オチを見せられたときのような感覚。ここまで積み上げてきて、最後にそれをやるのか。

そんな気持ちでした。

ところが、読み終えて少し時間が経ち、こうして文章にしているうちに、その感情が少しずつ変わってきました。

なぜ私は、あの結末をこれほどまで「許せない」と思ったのか。
そこまで考えたとき、むしろこの作品のすごさが見えてきた気がします。

※ここから先は『旅する練習』の結末を含む、重大なネタバレがあります。
未読の方は、ぜひ作品を読んでから戻ってきてください。

目次

『旅する練習』を買ったきっかけは、書店の帯だった

この本との出会いは、ふと立ち寄った書店でした。
最初に目に飛び込んできたのが帯のメッセージです。

「読み終えて、声を上げるほど泣いた」

かなりセンセーショナルな言葉。
その強烈な言葉とは対照的に、カバーに描かれているのは、とても平和的な二人の姿でした。

さらに、どうやらサッカーの練習をしながら旅をする話らしい。
鹿島アントラーズだと・・・?

ふむふむ、これはサッカー好きの自分にも楽しく読めそうだ。
そんな印象を持ったことを覚えています。

その場では結局購入しなかったのですが、どうしても気になり、後日タイトルを頼りに書店を探して買ったほどでした。

正直、最初から夢中になったわけではない

そんな経緯で買った本ですが、実は何度か途中で積んでいます。
序盤は、かなり淡々と物語が進みます。

叔父と、小学6年生の亜美。
二人が歩き、サッカーの練習をしながら旅をしていく。

会話や風景には味があるのですが、ページをめくる手が止まらなくなるようなタイプの物語ではありませんでした。

それこそが、この作品が描こうとしている「日常」なのかもしれません。

ただ、自分が一気に引き込まれたのは、途中で「みどりさん」という女性と出会ってからでした。

みどりさんとの出会いから、亜美がどんどん好きになった

みどりさんとの出会いを通じて、亜美が人間的に大きく成長していく。

そこから、私は一気に読み進めました。
サッカーもこの作品の大切な要素です。

鹿島という地、ジーコという存在も、この物語のキーとなっていきます。

一番惹かれたのは、亜美という少女のキャラクターそのものです。

小学6年生の女の子が、大人のこちら側がハッとさせられるような純粋さで、上を向いて、前を向いて生きている。
そのエネルギーが、いい具合に乾いてしまったアラフォーおっさんの心に染みてくる。

そんな感覚がありました。

そして、自分にも娘がいます。
読んでいるうちに、自分の娘を重ねるところもありました。

だから余計に、亜美の言葉や成長を、どこか親のような気持ちで見守っていたのかもしれません。

「おジャ魔女カーニバル!!」を、そんなふうに捉えるのか

特に印象に残っている場面があります。

作中に「おジャ魔女カーニバル!!」が登場します。
平成を生きたおっさん世代なら、一度くらいカラオケで歌ったことがあるんじゃないでしょうか。

あの歌の歌詞を、亜美は見事なまでに前向きに解釈します。
詳しい内容はここでは割愛しますが、読んでいた自分も、みどりさんと同じような感覚になりました。

「そんなふうに考えたこと、一度もなかったな」

と。

子どもの純粋な視点だからこそ見えるもの。
いつの間にかいろいろなものを諦めたり、勝手に意味付けしたりするようになった大人には、見えなくなっているもの。

亜美の言葉に、こちらが励まされるような場面でした。

そんなふうに亜美という人物への感情が積み上がっていったところで――。

最後の一ページが訪れます。

最後の最後に訪れた、あまりにも唐突な結末

亜美は亡くなります。

交通事故でした。
本当に、最後の最後です。

あまりにも唐突でした。

購入時に帯を見ていた私は、

「まぁ、誰か死ぬんだろうな」くらいのことは想像していました。

実際、読み進めている途中にも不穏な描写はいくつかあります。

「もしかしたら亜美が亡くなるのではないか」と考えたこともありました。

コロナ禍を背景にした物語なので、感染して重症化するといった展開まで想像していました。

そして御法度ながら、一度や二度、耐えきれずに本の末尾を先に開いてしまったほどです。

それでも拾えなかった。

それほど、亜美の死は最後に、ごくあっさりと提示されます。

物語が180度ひっくり返されました。

悲しい。

というより先に、

呆然としました。

『君の膵臓をたべたい』とは、ショックの与え方が違った

若い登場人物の死を扱った物語自体は、珍しいものではありません。

たとえば映画化もして大ヒットとなった『君の膵臓をたべたい』という作品。
こちらは、物語の冒頭からすでにヒロインの死が読者に示されています。

つまり読者は、

「この子は死んでしまう」

という事実を知ったうえで、彼女が生きていた時間を追いかけていくことになります。

もちろん、読み進めれば感情移入していく。
だから読了時に感じる悲しみの大きさは、同じなのかもしれません。

ただ、その悲しみは、少しずつ坂道を登っていくようなものです。
結末へ向かって、読者側にもある程度の心の準備ができている。

一方、『旅する練習』は違いました。

死が、本当に最後の最後にやってくる。

しかも、それまでこの作品の中でもっとも魅力的に描かれてきた少女。
この先、誰よりも長い未来が開けていたはずの亜美です。

その未来が、何の予告もなく突然なくなってしまう。

悲しむ準備さえできない。

だから私は、悲しいという感情より先に、強烈なショックを受けたのだと思います。

なぜ「こんな終わらせ方はなしだ」と思ったのか

読了直後は、本当に納得できませんでした。

物語として考えれば、

「最後に衝撃的な出来事を入れて、一気に作品を盛り上げた」ようにも見えてしまいます。

亜美の死があってこそ、この物語には強烈な余韻が残った。

少なくとも私は、この結末がなければ、読み終わったあとにここまで長々と『旅する練習』について考えてはいなかったと思います。

だからこそ、

「とってつけたように盛り上げたんじゃないか」

という反発もありました。

それでも一人の読者として、

「小説の中なんだから、どうにか助けてあげられなかったのか」

と思ってしまいました。

そのくらい、亜美というキャラクターが自分の中で生きていたのだと思います。

でも現実の「死」は、たぶんこんなふうにやってくる

そして、文章を書きながら気づきました。

現実なら、むしろこの終わり方のほうが普通なのではないか。

人が亡くなる前に、小説のように分かりやすい伏線が張られるわけではありませんし、
なにか不穏なBGMが流れることもありません。

昨日まで普通に話していた人が、突然いなくなる。
それが不慮の事故なら、なおさらです。

そして私たちは、人が亡くなるその瞬間に立ち会うことのほうが少ない。

実際には、

「亡くなった」

という知らせを、電話やメッセージで突然知らされることのほうが多いでしょう。

そう考えたとき、『旅する練習』の最後の一ページは、とても現実に近い。

だからこそ、あれほど辛かったのかもしれません。

私は「読者」ではなく、亜美の親族のような気持ちになっていた

一冊の本を読みながら、私はずっと亜美を見ていました。

歩いて。サッカーをして。いろいろな知識を身に着けて。

人と出会って。言葉を交わして。

少しずつ成長していく。

それをずっと見守っていた。

そして娘を持つ父親として、自分の娘を重ねてしまった部分もあります。
つまり一冊を通して、自分の中には亜美に対する感情が十分すぎるほど醸成されていたのでしょう。

そんな状態で、突然知らされる訃報。

考えてみればこれは、

読者である自分に「身近な人の突然の死」を疑似体験させる構造だったのではないか。

そう思うようになりました。

だからあれほどショックだった。

だから「許せない」と思った。

そして、そこまで読者に一人の少女を身近な存在だと思わせた時点で、この小説はすごかったのではないか。

今は、そう感じています。

人生に「納得できる終わり」は、どれくらいあるのだろう

物語なのだから、もう少し救いがあってもいいじゃないか。

亜美には、この先もサッカーをしていてほしかった。
もっといろいろな場所へ行ってほしかった。

大人になってほしかった。

今でも、そう思います。

でも人生に、

「これなら納得できる」

と思える終わりは、果たしてどれだけあるのでしょうか。

今の私は、そうした強烈な喪失感から離れた場所で、幸せに暮らせています。

けれど今日もどこかで、昨日まで続いていた日常を突然失った人がいる。
何の心の準備もできないまま、呆然としている人がいる。

残念ながら、それもまた現実です。

『旅する練習』のあまりにもあっけない終わり方は、そんな当たり前のことを突き付けてきます。

最初は許せなかった。それでも『旅する練習』を読んでよかった

最後のページを読んだ直後は、

「こんな終わらせ方、ありなのか」と思いました。

今でも、物語として100%納得できたわけではありません。
ただ、こうして感想を書きながら感情を整理しているうちに、

「あぁ、これはフィクションだったんだ」

と、ようやく少し距離を置いて考えられるようになりました。

そうすると、なぜ作者があの結末を選んだのか。

なぜ自分はこれほどショックを受けたのか。

そんなことまで考えられるようになります。

何でもない日常が続くこと。
家族や身近な人と、今日も普通に過ごせること。

それは当たり前ではない。

そんなことを改めて認識して、いま幸せでいられることに少し感謝したくなる。
私にとって『旅する練習』は、そんな小説になりました。

読了直後には、結末を許せなかった。

それでも今は、

読んでよかった。良い小説だった。

そう思っています。

むしろ一冊の小説を読み終えたあと、ここまで自分の中に感情を残し、考えさせられている。
それこそが、この作品が名作と呼ばれる理由なのかもしれません。

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管理人プロフィール

アラフォー・3歳児子育て中の会社員。

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